ブラジルの親戚が「the special situation of your mother」と書く、母の事情について、少し書いておこう。
私自身もよくわかっていなかった。
ブラジルへ行くと決めてから、いろいろ聞いてはじめて知った事もある。
母の父は、ブラジルで一旗あげる! と20代でブラジルへ移民した人である。
ブラジルで日系人と結婚、1935年に母は生まれている。
1941年3月、母が6歳の時、祖父はブラジルで成功して、いわゆる「故郷に錦を飾る」思いで、日本へ長女の母だけを連れ、帰る事にした。
母の幼い2人の妹と、まだ祖母のお腹にいた弟、そして祖母は、数ヶ月したら帰ってくるだろう父子をブラジルで待つことにした。
ブラジルサントス港を出たのは3月、船で約45日、日本に着いたら5月になっていた。長い船旅だったので、途中船上でお葬式などもあったそうだ。
その数ヶ月後、第二次世界大戦がはじまり、祖父と母はそのままブラジルへ帰る事ができなってしまった。ブラジル人であった祖父も、日本軍として戦地へかり出され、フィリピンで あえなく戦死したという。
戦後の混乱の中、母はブラジルへ帰る事もできず、日本の親戚の家で日本人として育てられたとのこと。最初、箸の使い方が下手で苦労したと言っていた。
戦争中は、いろいろな不幸な話がたくさんあるので、何も特別ではないかもしれない。でも、今の平和すぎる日本の生活の中で、改めて聞くと、なんだかえらく不思議な不幸の話のような気がする。
私が大学生の時、先輩がブラジルへ渡った。浪人してまで入った芸大をやめて神戸から最後の移民船に乗った.その恋人が激しく泣いていたのが切なかった.その時初めて船の上から投げられたテープを握りしめ、たくさんの人が甲板にたたずみドラの音が響くなかちぎれていくテープがいやが上にも旅情を誘った.すぐ帰れるその当時でさえなんか切ない移民船。戦前の人たちの船出は想像を絶したでしょうね.そんな話があったなんて知らなかったけど他にも引き裂かれた人達は大勢いたのでしょうね。
Comment: mt-sky (2005.09.20)